広島高等裁判所 昭和32年(う)425号 判決
論旨は何れも、被告人の本件犯行は詐欺罪を構成するものであつて、窃盗罪にはあたらないとして原判決の事実誤認を主張するにある。
窃盗罪が不法領得の意思の下に他人の意思に反してその占有する財物を犯人の支配に移すことにより成立し詐欺罪においては、たとい犯人の欺罔手段によるとは云え、あくまで被害者の自由意思により財物の占有が犯人に移転せられるものであることは誠に所論のとおりである。そこで本件記録及び原審において取調べた各証拠に基き被告人の所為を考えて見るに、被告人は正に所論の如く洋服類を騙取しようと考えて、原判示日時に被害者たる重広勝方店舗に買客を装つて赴いたことには相違なく、そして種々物色の揚句本件ダスターコート及びシヤツ各一枚を買求めるが如く申出で、右重広の諒承の下に之を着用に及んだ後、にわかに所用(尿意を催したと称し)にかこつけて右衣類を着用の儘その場を逃走したのであつて、右の如き情況下においての被告人の右ダスターコート及びシヤツの着用は、未だ売買成立までの過程における、いわゆる仮りの交付と云うに過ぎず被害者から終局的に占有の移転を受けたものとは謂い難い。即ち、被害者としては、若し売買が成立しないときは直ちに被告人より本件衣類を回収し得べき時間的、場所的関係にあり、従つて被告人が本件衣類を着用していたとは云え、未だ売買の完全に成立しておらず、被告人また被害者の店舗内において店主の監視下にある以上右衣類は依然被害者の支配下にあつたものと解するを相当とすべく、斯る情況の下において右衣類を着用の儘其の場を逃走した被告人の所為は、他人の意思に反して其の財物の占有を自己の支配に移したものと解し得べきことに疑いなく、窃盗罪を構成すること勿論であるから論旨は何れも理由がない。
(裁判長判事 柴原八一 判事 池田章 判事 牛尾守三)